『軽量墓地』
この墓地には土がない。
九月高潮のあと、都心の追悼はだいたい換気設備の仕事になった。遺骨は軽量化され、記憶は匂いと短い音声に圧縮され、遺族は白い吸入室で故人を一分だけ肺に通す。私は夜間清掃員で、閉館後のブースを回り、フィルターを替え、床に残った記憶粉を回収する。墓守というより、換気設備の係に近い。
施設名は《都営軽量墓地第三区画》。
名称からしてだいぶ情が薄い。
玄関ホールには白いソファと静かな水盤があり、壁の案内板にはこう書いてある。
標準追悼 一分
拡張追悼 九十秒
未成年者向け低刺激再生 四十五秒
人はだいたい、死んだあとまでプラン表に並べられる。
こちらの仕事は、そのプランが滞りなく肺へ入り、滞りなく外へ出るようにすることだった。
仕組み自体は簡単だ。
遺骨から抽出した微量成分と、生前の音声、残された所持品の匂い、遺族が選んだ短い記録を圧縮して、一人ぶんの再生カートリッジにする。遺族は吸入室でそれを一分だけ吸う。鼻腔と肺のあいだで故人を感じる。言い方だけ整えるなら、美しい技術だと思う。
ただし、ここに戻ってくる死者はたいてい、少し上品すぎる。
怒鳴り声や、台所の油の匂いや、食べかけの蜜柑や、下品な冗談や、寝起きの咳払いみたいなものは、圧縮の段階で落ちやすい。遺族もあえて残したがらない。だから吸入室に戻ってくる死者は、実際に生きていたその人より、少しだけ礼儀正しい。
それがこの施設の売りでもあった。
だから三番室から笑い声が漏れたとき、私は掃除機を止めた。
閉館後の回廊は、いつもなら空調の音しかない。
その晩は、フィルター交換のために三番室のダクトを開けた瞬間、奥から腹の底で転がるみたいな笑いが一度だけ出た。うれしいというより、我慢しきれなくて壊れたみたいな笑い方だった。
私は予約票を見た。
三番室 伏見清司
橋梁技師 享年七十九
追悼メモ:九月高潮復旧橋梁群 設計参与
寡黙。感情表現少なめ。
匂いはコンクリート、石鹸。
音声は低刺激推奨。
笑いとはかなり遠いプロフィールだった。
少し迷ってから、私はダクトの残留をほんのわずか吸った。
保守員は規定上、私的吸入をしてはいけない。だが規定の九割は、現場の人間がそんな妙な好奇心を起こさない前提で書かれている。
肺に入ってきたのは、濡れたコンクリートの匂いと、冬の蜜柑の薄皮だった。
そのあと、誰かが言った。
「橋はね、向こう岸の顔を見るまで終わらないんだよ」
橋梁技師の追悼ならありえるようで、やっぱり少し違う。
言い方に、間があった。
説明より先に、誰かを笑わせる癖のある間だった。
翌朝、設備ログを確認すると、三番室と四番室の換気系統に零・八秒だけ逆流が出ていた。四番室の利用者名は篠田春江。こちらは逆に、笑いが混じっても何の不思議もない人だった。
四番室 篠田春江
落語家 享年八十四
つまり、伏見さんと春江さんの再生粒子が、ほんの少しだけ混ざったのだ。
主任はログを見て即答した。
「品質事故です。双方の遺族へ謝罪。混線カートリッジは破棄」
主任はいつも、死者について家電の不具合みたいな言い方をする。
間違ってはいない。
この施設で働いていると、間違っていない言葉がいちばん骨に悪い。
「再抽出できるなら再抽出。無理なら規定どおり破棄。純度が落ちると商品としてまずい」
商品。
そこも正しい。
正しいぶんだけ、たちが悪い。
その日の午後、伏見さんの遺族が来た。
孫娘の律さんだった。三十代前半くらいで、喪服ではなく仕事帰りらしい黒いパンツスーツを着ている。肩にノートパソコンの跡が残るような、今日もまだ仕事の続きがある人の顔だった。
受付では事故の説明をぼかされたらしいが、彼女は席に着くなり言った。
「祖父の記憶が笑ったって、本当ですか」
最初から核心だった。
「本当です」
律さんは少しだけうなずいた。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「今朝、再抽出前の標準追悼をもう一度聞かせてもらったんです。変だったので」
私は少し黙った。
通常、遺族は再抽出前の試再生を繰り返したがらない。
きれいすぎるものを二度吸うと、たいてい余計に苦しくなるからだ。
「どんなふうに」
律さんは言いにくそうに指先を組んだ。
「祖父が、ちゃんとしすぎていました」
その言い方はかなり正確だった。
標準追悼の残留ログを私は見ている。
濡れたコンクリート、粉石鹸、それから低い声が一つだけ。
橋は、あとから気合を足しても持たない。
正しい。いかにも技師だ。
ただ、正しすぎた。
橋梁パンフレットの裏表紙みたいで、台所でむせる人の匂いがない。
「祖父、外ではほとんど笑わない人でした」
「利用者メモにもそうあります」
「家でもです」
律さんは視線を落とした。
「でも、夜中に台所から変な息が聞こえることがあって。ラジオをつけてる日だけ。笑ってたのか、むせてたのか、子どもだったから区別がつかなかった」
私はその話を少し好きになった。
この施設の追悼は、たいてい子どものころに区別のつかなかった部分を落として戻ってくる。むせていたのか笑っていたのかわからない夜みたいなところに、実際の人間はよくいる。
「混ざったのが落語家の方だと聞きました」
「篠田春江さんです」
「ああ」
律さんは少し考えたあと、言った。
「祖父、嫌いじゃなかったかもしれません」
“好き”ではなく“嫌いじゃなかった”と言うのが、いかにも孫だった。
問題は規定だった。
混線カートリッジの私的再生は認められていない。監査ログも残る。記録が残れば、主任はたぶん正しい顔で怒る。
その晩、私は保守棚のいちばん下段から、問題のカートリッジを抜き出した。ラベルには仮にこう書き直した。
換気系統参照用
保留試験
こういう名前の箱は、墓地では妙に長生きする。
閉館後の五番室で、私は律さんに標準追悼と混線カートリッジを続けて聞かせた。
本来なら検査用の比較再生だ。今夜だけは少し違う用途になる。
最初に標準の伏見さんを流す。
雨のあとみたいなコンクリート。
清潔すぎる石鹸。
それから、低い声。
「橋は、あとから心意気を足しても持たない」
そこで切れる。
律さんはマスクを外して、しばらく吸入室の白い壁を見ていた。
「正しいです」
「はい」
「でも、祖父じゃない感じがします」
言い方が静かで、余計に正しかった。
次に、混線したほうを流す。
最初に入ってきたのは、同じコンクリートだった。
そのあとに蜜柑の薄皮が混ざる。
さらに、寄席の高座に近いのか、古いラジオの裏ぶたに近いのかよくわからない、温められた埃の匂いがわずかに来た。
そして、誰かが笑いをこらえる気配がして、声が言った。
「橋はね、向こう岸の顔を見るまで終わらないんだよ」
標準よりも少しだけ、間が長い。
教訓ではなく、誰かに言って聞かせている間だった。
そのあと、短く息が漏れた。
咳払いにも笑いにも聞こえる音だった。
律さんの肩がマスク越しに揺れた。
泣いているのか笑っているのか、どちらでもよかった。
再生はそこで切れた。
「蜜柑です」
律さんが言った。
「祖父、冬になるとずっと食べてました。無口なのに皮だけはテーブルに山ほど残す人で」
少し黙ってから、また言った。
「あと、ラジオの匂いがした」
「ラジオの匂い」
「うまく言えないんですけど。台所の棚の上の、熱を持った機械の匂い」
私はうなずいた。
そのうまく言えなさは、この施設ではだいたい本物だ。
「祖父、九月高潮のあと、橋の現場に戻ってた時期があって。夜中に台所で図面を引きながら、ずっとラジオつけてたんです」
私は返事をしなかった。
その匂いが本当にカートリッジに入っていたのか、私にはわからない。
この施設の再生は、聞く側の肺と記憶でかなり補われる。純度の高い追悼は出来がよすぎて、こちらの記憶の入りこむ隙がない。混線したほうは逆だった。何かが欠け、何かが余計で、そのぶんだけ、思い出の側が勝手に引っかかる。
「これ、間違ってるんですよね」
律さんが言った。
「たぶん」
「でも、さっきのほうが近かったです」
私は答えなかった。
答えると、だいたい嘘になる種類のことだった。
律さんが帰ったあと、閉館後の五番室で、私は一人で同じカートリッジを流した。
律さんが蜜柑と言った匂いは、そのときにはもっと乾いていて、木箱の内側みたいだった。声も少し違って聞こえた。「橋はね」のあとの間が短く、笑いの気配も、咳払いのほうに寄っていた。
私はマスクを外した。
正確さではなく、余白の問題なのかもしれなかった。
完成しすぎた追悼は、遺族の記憶が触る前に終わってしまう。少しだけ壊れた追悼のほうが、触れる場所がある。
その話は、もちろん公式には広がらなかった。
この施設には、そういうふうにだけ広がることがいくつかある。
三番室と四番室の事故のあと、私は品質外保留の箱を捨てる手つきが少しだけ鈍くなった。
低刺激基準から外れたもの。
残留が濃すぎるもの。
別系統の匂いが混じったもの。
完成品になれなかった追悼は、規定どおりなら破棄だ。
でも、破棄の前に相談したがる人が、ときどきいた。
それから、受付票の備考欄に妙な書き込みが増えた。
標準追悼後、保留相談希望
低刺激ではなく補助再生相談
純度外の案内があれば
そんな項目は制度上、存在しない。
でも、存在しない項目ほど、人は備考欄に書く。
最近妻を亡くした男の人が来た。
妻の標準追悼があまりに“ちゃんとした奥さん”すぎて苦しい、と言う。
「皿を洗いながら文句を言う声が一番近いんですけど、そういうのは残せないでしょう」と、営業妨害みたいなことをまじめな顔で言った。
私は彼を、五番室のさらに奥にある保守用の小部屋へ案内した。
正式な吸入室ではない。椅子も安っぽいし、空調も少しうるさい。けれど、その程度の粗さのほうが合う人もいる。
毎回、内容は少しだけ違って聞こえた。
石鹸より先に汗が立つ夜もある。
言葉より先に息が来る夜もある。
笑いの気配が強いこともあれば、咳払いにしか聞こえないこともある。
故人の声なのか、遺族が勝手に継ぎ足しているのか、私には最後までわからない。
小部屋から出てくる人たちは、たいてい少しだけ姿勢が変わっていた。
劇的に立ち直るわけではない。
号泣するわけでもない。
ただ、胸の真ん中に詰まっていたものの角が、少し取れるみたいな顔で出てくる。
ある晩、私は主任に見つかりかけた。
保守棚の下段を開けているところを、回廊の角から見られたのだ。
「何してる」
「換気系統の参照試験です」
主任は箱のラベルを見た。
換気系統参照用 保留試験
私が貼り替えた字は、わりと事務的に上手かった。
「そんなもの、まだ残してたのか」
「残ってます」
主任は鼻を鳴らした。
「純度の低いカートリッジは、後で必ず問題になるぞ」
「純度の高い追悼が、先に問題になってる人もいます」
自分でも驚くくらい口が滑った。
主任は私を見た。
怒る前に疲れる人の顔だった。
「……事故をサービスにするなよ」
それだけ言って、歩いていった。
止められたのか見逃されたのか、最後までよくわからなかった。
でも、その晩も保守棚の奥の箱は処分されなかった。
いまでは、ときどき閉館間際に、規定外の言い方で相談される。
「うちの人そのものじゃなくていいんです」
「立派すぎないやつがよくて」
「ちゃんとしすぎてると、苦しいので」
「少しだけ、息がしやすくなるほうを」
そういう人が来ると、私はまず標準追悼を案内する。
施設の人間としては、それが正しい。
そのうえで、掃除の時間が少し延びる夜もある。
今夜も閉館後、私は三番室と四番室のフィルターを替える。
掃除機をかけ、床に落ちた記憶粉を回収し、保守棚のいちばん奥を確かめる。
ラベルの端が少し剥がれていたので、貼り直す。
前より小さな字で、保留、とだけ書く。
ダクトの奥で、短い咳払いがした。
続いて、誰かが笑いをこらえるときみたいに、息が一度だけ震えた。
私は掃除機の出力を一段だけ下げた。