『手のひら避難訓練』
九月高潮のあと、この市では、子どもたちの手のひらに避難経路が埋め込まれるようになった。
汗をかくと地図が浮かび、緊急時には生命線のあたりがあたたかくなって、安全なほうへ手首が少しだけ向く。市は個別最適化避難支援回路と呼んでいるが、小学校ではずっと「てのひら地図」で通っていた。六月の避難訓練で、三年二組の半分が校庭ではなく閉鎖された市立図書館へ走り出したとき、私はその「少しだけ向く」を初めて怖いと思った。
「先生、こっちのほうが近い」
先頭の佐伯が、汗ばんだ手を掲げて言った。生命線のあたりがうっすら赤い。
「校庭に戻って!」
そう言いながら追いかけたが、三年生の集団は妙にまっすぐだった。子どもたちがまっすぐだと、追う大人のほうが間違っているみたいに見えるから困る。
裏坂の途中で、黒沢教頭に追いつかれた。
「止めてください。図書館は閉鎖施設です」
「止まりません」
「止めるのが仕事です」
それは正しかった。正しいが、子どもたちはもう坂を上りきっていた。
図書館の裏口は開いていた。
「また来たのね」
中から言ったのは三木さんだった。元司書で、たまに学校へ読み聞かせに来る。エプロンをしていて、閉鎖施設の裏口を開けている人には見えなかった。見えなかったが、現に開けていた。
「また、って何ですか」
私が聞くより先に、黒沢教頭が言った。
「施設管理上、ここへ児童を入れるのは認められません」
三木さんは紙コップを並べながら答えた。
「管理上はね」
あまり良くない会話だった。
館内には、ほこりより紙の匂いが残っていた。返却台は片づいておらず、児童書の棚は半分だけ布がかかっている。窓際には折りたたみ椅子、給湯室の前には大きなポット、棚の下には毛布の束まであった。閉館した建物にしては、待つためのものが多すぎた。
「訓練のたびに、何人か来るのよ」
三木さんはそう言った。
「手があったかいって」
黒沢教頭の眉が、見てわかるくらい固くなった。
午後、私は黒沢教頭と一緒に市の防災情報課へ呼ばれた。来ていたのは二階堂という若いプログラマで、寝不足の人間だけが持つ妙な静けさを顔に貼りつけていた。机の上に紙は少なく、画面だけがやたら多い。
「回路そのものは故障していません」
二階堂さんは言った。
「では、なぜ閉鎖施設へ」
黒沢教頭が聞く。
「学習結果です」
画面には学校周辺の地図が出ていた。公式の校庭ルートとは別に、細い点線が図書館の裏口へ伸びている。その横に小さく、
補助待避候補(保留)
と出ていた。
「てのひら地図は、ハザードマップだけで動いていません。九月高潮以後の避難ログ、歩行記録、住民メモ、手書き地図。公式文書になりきらなかったものまで食っています」
「図書館は避難所じゃないでしょう」
私が言うと、二階堂さんは少しだけ首をかしげた。
「公式には」
別の画面が開いた。八年前の局地豪雨の記録だった。低地の通路が先に冠水し、校庭への最短ルートが逆に危険になった日がある。正式な指示が出る前に、図書館の司書が裏口を開けて、二階と屋上へ人を上げた。記録上は『自主待避』で終わっているが、移動ログにはかなりの人数がそこへ流れて助かった跡が残っていた。
「モデルは、建前より生存率を学びます」
二階堂さんは言った。
「ただし、今の図書館が同じだけ安全かは保証しません。建物は古いし、点検も正式ではない。ルートが出たからといって、市がそこへ人を入れていいとは別の話です」
そこがいちばん厄介だった。モデルは昔の正しさを覚えている。だが、現在の責任までは持たない。
「次回アップデートで削除します」
黒沢教頭ははっきり言った。
「子どもが閉鎖施設へ向かうのは危険です」
二階堂さんは答えを少し遅らせた。
「行政上は、それが妥当だと思います」
行政上、という言い方は、だいたいあとで人を困らせる。
夕方、私は図書館へ戻った。三木さんは返却口のところで、古い蔵書印を箱に詰めていた。
「消されるそうです」
私が言うと、三木さんは「そう」とだけ答えた。
「毎年来るんですか、本当に」
「訓練の日だけじゃないわよ。雨の前になると、手のひらがあったかいって言って寄る子がいる」
「ここ、ほんとうに安全なんですか」
三木さんは少し考えてから言った。
「完全に安全な場所なんて、だいたい市役所の紙の上にしかないわ」
それから、給湯室の棚を開けた。簡易ライト、毛布、乾パン、紙おむつ、手回しラジオ。期限の切れた備蓄が、几帳面に残っている。
「でも、あっちの低地を通るよりはましな日がある」
「いつでも開けられますか」
「それは約束できない」
そこを曖昧にされると困るのだが、曖昧にするほうが正しかった。三木さんに何かあれば終わる。閉鎖施設の裏口ひとつに避難を預けるのは、制度としてかなり危うい。
それでも私は、放課後の読み聞かせという名目で、何度か図書館へ通うようになった。正式な授業ではない。三木さんが「閉める前に本を上へ動かしたい」と言い、子どもたちが「てつだう」と言い、私が監督名目でついていくだけだ。
子どもたちはそのついでに、裏坂の勾配と、非常階段と、給湯室の場所と、停電のときに一番明るい窓を覚えた。
黒沢教頭には一度、はっきり言われた。
「子どもを閉鎖施設へ慣れさせないでください」
「慣れさせてるつもりはありません」
「では」
「忘れさせないようにしてます」
自分でも嫌な言い方だと思った。黒沢教頭は私を見て、少し疲れた顔をした。
「私は、勝手なルートで保護者を見失った現場を一度見ています。学校は、許可のない正しさで動くと人が散ります」
怒っているより、古い失敗を押さえつけている声だった。それでも私は黙るしかなかった。
九月の学校公開日、空は朝から白かった。保護者が来ていて、体育館では作品展示、教室では発表の準備。私は三年二組の前で名札を配りながら、窓の外の雲の低さが気になっていた。予報は弱い雨だったが、最近の予報は昔よりずいぶん遠慮がちだ。
昼前に、降り方が変わった。廊下の窓が一斉に白くなり、校庭が見えなくなる。その五分後、停電した。
校内放送が一度だけ鳴って切れた。子どもたちが同時に自分の手のひらを見た。
それは妙な光景だった。大人がまだ状況説明を探しているのに、子どもの皮膚だけが先に何かを知っている。
黒沢教頭が電池式の拡声器を持って廊下へ来た。
「各学年、正面階段から校庭集合。その後、体育館へ移動します。図書館方面へは行かないこと。閉鎖施設で、責任が取れません」
責任、という言葉が雨音に負けずに残った。
私は昇降口の向こうを見た。校庭への最短ルートの途中にある低地で、側溝の水がもう歩道へあふれかけている。茶色い筋が一本、床のほうへ伸びていた。
「教頭先生、低地が先に上がってます」
「だからこそ点呼を先に取ります」
「図書館なら上です」
「鍵が開いている保証がない」
その通りだった。三木さんが今日いる保証はない。二階堂さんが保留を残していたとしても、建物の安全は別だ。許可のある危険と、許可のない安全らしきもののどちらかを選べと言われると、学校はたいてい前者を選ぶ。
保護者の一人が言った。
「閉鎖施設に子どもを入れるんですか」
別の親は、子どもの手を強く握り直していた。私は自分の喉が少し乾くのを感じた。ここで間違えると、報告書では済まない。子どもも親も、まとめて預かっている。
そのとき、佐伯が言った。
「先生、もうあったかい」
掌が、図書館のほうを向いていた。
私は一秒だけ迷った。それから叫んだ。
「図書館へ行く子、こっち! 走らない、手を離さない!」
黒沢教頭が「待ちなさい」と言った。その声も正しかった。正しかったが、私はもう聞かないことにした。
裏坂へ向かったのは、三年二組の子どもたちと、その保護者の半分くらいだった。残りは黒沢教頭について正面階段へ向かった。親がついている以上、無理に引っ張れない。分かれる列を見たとき、黒沢教頭の言っていた「散る」という言葉が、急に現実の形をした。
坂の途中で、後ろから悲鳴が上がった。
振り向くと、正面階段の下で側溝のふたが一枚跳ね上がり、茶色い水が斜めに噴いた。低地の通路が一気に川みたいになり、黒沢教頭の列が途中で止まる。小さな子が一人、濡れた床で足を取られ、保護者が腕を引いていた。人が止まると、後ろの列も詰まる。詰まると、パニックは大きくなる。
私は一瞬、戻るか迷った。
そのとき、図書館の裏口が開いた。
三木さんが立っていた。レインコートの上からエプロンをして、変な格好だった。その横に二階堂さんもいて、ポータブル灯を振っている。
「上のサービス通路、こっち!」
二階堂さんが叫んだ。図書館の敷地脇に、書庫搬入用の細い通路があるのは知っていた。普段は閉じているが、学校の裏斜面とつながっている。
私は子どもたちを先に館内へ入れ、保護者二人に上の廊下を任せてから、三木さんと一緒に手すりのところまで下りた。
「教頭先生! 上から回れます!」
黒沢教頭は一度こちらを見た。迷っている顔ではなく、何かを飲み込む顔だった。それから拡声器を切り、列の向きを変えた。
そこから先は、きれいな避難ではなかった。泣く子、怒る親、片方の靴だけ流された子、抱きかかえられるランドセル、濡れた名札。黒沢教頭はずぶ濡れで先頭と最後尾を往復し、私は真ん中で手をつなぎ直し、三木さんは裏口で人数を数えた。二階堂さんは足元を照らしながら、滑りやすい場所だけ短く怒鳴った。
図書館に全員入ったときには、誰も「公式」を口にしなかった。
二階の窓際には折りたたみ椅子が並び、ポットに湯が沸いていた。紙と濡れた靴の匂いが混ざる。子どもたちは最初こそざわついたが、紙コップのお茶が配られると、声の高さが少し下がった。
黒沢教頭が、ずぶ濡れのまま言った。
「……ここで点呼を取ります」
その言い方で十分だった。人は撤回するとき、たいてい謝罪ではなく点呼を始める。
雨は午後いっぱい続いた。三木さんは児童書の棚から一冊抜き、読み聞かせを始めた。停電した建物のなかで、本の声だけはえらく普通だった。
外ではサイレンが鳴り、窓ガラスに水が叩きつけていた。子どもたちは自分の手のひらを見せ合っていた。
「ね、途中でこっちになった」
「ぼくも」
「さっきは学校だったけど、坂のとこで変わった」
二階堂さんがそれを聞いて、小さく言った。
「リアルタイム補正までしてるな」
「賢すぎますね」
私が言うと、彼は肩をすくめた。
「人命に関してだけは、たまに賢いほうがいい」
窓際で黒沢教頭が、低地の通路をじっと見ていた。あそこはもう完全に水をかぶっている。しばらくして、彼が私の横へ来た。
「今日の判断は、規程上は良くありません」
「はい」
「……ただ、良くない規程もあります」
それだけ言って、また人数を数えに戻った。あの人にしては、かなり大きく折れたほうだった。
翌週、市は図書館の裏口に小さな表示を追加した。
水害時一時待避所(補助)
正式避難所でもないし、再開館でもない。立派な名称もついていない。予算も最小限だろう。でも、その紙は雨に濡れにくい位置へちゃんと貼られていた。
子どもたちはその表示を見ると、少し誇らしそうな顔をした。
「ほら、てのひらのほうが先だった」
誰かがそう言って、誰かがうなずいた。大人のほうは、うなずかない代わりに、非常用鍵の保管場所を職員室の一覧へ書き足した。黒沢教頭の字だった。
放課後、私は教室で忘れられたハンドタオルをたたんでいた。窓の外はよく晴れていて、避難なんて必要のない青さだった。机の上に出席簿を置き、自分の手のひらを見た。
何も浮かばない。線も熱もない。埋め込んでいない大人は、こういうとき少し不便だ。
それでも、あの日いちばん小さい子とつないでいた左手のほうだけは、まだ薄く温かい気がした。
地図ではない。たぶん、もっと役所に書きにくいものだ。けれど次に雨が来たら、私はその温かさのほうへ先に歩ける。